顔色を見て「元気か?」と声を掛けられる人になりたい

久々の投稿となりました。ケラトです。
限界すぎて、しんどすぎて、何もかけずにいる日々を過ごしていました。

自分は何故、どんな意義があって、その研究をしているのかがわからなくなりました。
今自分が陥っている、自分が自分を信じられない状態はとてもつらく、何にも立脚できずにいます。

努力をしようとしても、何を努力していいのか自信をもって決められない。
「何かを明らかにしようとするために何か作業をする」ではなく、「何かをしていると自分に思い込ませるために何か作業をしている」のではないか、と強く自己否定を繰り返していました。

今日はラボのゼミがあり、直属の後輩が発表をしていました。
発表を通じて彼女は、今の自分が悩み陥っている谷を軽々と乗り越えて、次に進もうとしているようで、居ても立っても居られなくなりました。

「自分が3年半やっても乗り越えられずにいるところを、彼女は1年半で乗り越えようとしている」

自分の発表が全く受け入れられなかったとき以上に(その発表も、何か言いたいことがあって発表したのではなく、担当の番がきたから発表した、というようなものですが)、しんどかったです。

そのゼミが終わり、セミナー室を出た直後に、ゼミに参加していた別ラボの教授から肩をたたかれ「元気か」と声をかけられました。
その先生は厳しいことをいう人なのですが、言葉に芯があるように感じられて、僕は好きな先生です。(自分が幹事をした飲み会の不手際で起こられたこともありましたが 笑)

今の自分の状況は、自分の能力不足・努力不足で陥った状況であるという認識が強く、誰にも相談できずにいました。何度かほかの学生や自分の指導教員に話そうかと思いつつも、「でも、もっと頑張れよ」としか言われないのではないかと思い、言えずにここ数日をどん底で過ごしていました。

そんな状況で誰かから「元気か」と聞いてもらえることは、自分で価値を見いだせずにいる自分を気にかけてくれる人がいると感じられてたまらなくうれしかったです

その嬉しさもあり、「ちょっとしんどいです」と素直な言葉が出てきました。
それを聞いて先生は「座って話そうか」と言い、ソファに腰かけて1時間ほど話しました。

そうして促されて、自分がずっと誰にも言えずに、見せられずにいた、弱い部分をかなりさらけ出して話しました。

先生は、「そうした研究の意義を悩むことは誰もが通る道。みんななんでもない顔をしているが、乗り越えてきている。自分も学生時代の写真を見返すと、ひどい顔をしている時期がある」と話してくれました。そして、「学生の顔を見れば、どんな状況なのかわかる。うまくいっているのか、壁に直面しているのかわかるから声をかけた。」とも。

正直、涙が出るほどに嬉しかったです。

大人になって、自分で自分を保たないといけなくなったときに、そのような言葉を相手からかけてもらえるとは思っていなかったので。

まだ自分が壁を乗り越えられるかはわからないです。

でも、この先自分がどのような人生を歩むにしても、明らかにしんどそうな人を見た時に肩をたたいて「元気か?」と声を掛けられる人になりたい、そう思いました。
その行為は、優しくて、強く、後人を導く、理想的な先人の行いの一つだと思います。

その声かけが直接的に問題解決になるとは限らなくとも、悩みの渦中にいる人間を立ち上がらせる力になると思います。

そんな気持ちを書き留めておきたくて久々に記事を書きました。

また近く、最近研究について考えていたことも記事にしたいと思います。

僕も頑張ります。皆さんも皆さんの場所で頑張りましょう。

それでは、また。

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