すでに僕は博士の2年目に突入していますが、博士号をとれる自信が全くないです。
データも全然ないし、どのように物事を進めたらいいのかわからない。というか、自分自身の「目的達成力」に対する自信を完全に喪失した状態なんだと思います。
大学院入学からこの落ち込みまでの概略
学部から修士課程入学のタイミングで大学を移り、現在の研究室に所属しました。
外部進学の理由は、そこで行われている研究に興味があったからです。そのため研究に対する意欲は高く入学したのですが、(後述する)ゴールからの逆算する考え方の未熟さによって全然研究が進まず、最初の勢いを失っていきました。
入学後に指導教員から「じゃあ研究テーマを自分で考えてみてね」と言われて、先行研究を探すところから大学院生活が始まりました。その後「これだったらやってみたいと思えるテーマ」に行きつき、研究を始めたのですが、基本的に放任されてきました。指導教員はアポを取れば相談できるものの、普段は放置されています。
何か気になったことを試してみるものの、「定量的なデータ」と呼べるものまでもっていくことができない。定性的に「こんな感じでした」と言って、方向を変えてしまうのです。
そんなことを続けて3年。そりゃ、データもなく、自信もない、限界大学院生1名が出来上がるというものですね。
博士課程が「課題を発見し、解決し、それを公にできる」一人前の研究者を育てる過程であるということを踏まえれば、粘ることができずにいる自分は「不出来な学生なんだろうなぁ」と思い自己肯定感が削れていく日々。
削れた自己肯定感では粘れないし、余計に挑戦ができなくなる。
それでも時間は過ぎていくので学年は進む。すると、「こうありたい」という自己像と現実の自分の像のギャップがどんどん開いてつらさが増していくもの。
そして決定的な自信の喪失は、GW直前の指導教員とのミーティングで起こりました。さすがに博論のことを考えないとまずいと思い、博論の方向性を話し合う場を設けたのですが、ボロッカス。
指導教員から「2年間で博論審査をパスする計画を立てよう」「とにかく定量的で再現性のあるデータを持ってこい」など、次につながるコメントは出てきました。
でも、「そんな基礎的なことを今更言われるなんて、自分はこの3年間一体何をしてきたのだろうか」と考えてしまって、一気に気持ちは落ち込み、GW中何もできないほどに落ち込んでいました。
GW中に何度かラボにはいってみたものの、頭がぼーっとして何も考えられずに2時間ほどで帰宅するというのを繰り返していました。「きっと指導教員は、GW前のミーティングを踏まえた対策をGW中にしてくることを期待しているだろうな」と勝手に考えて、それができていない自分に嫌悪を覚える。
正直、このGWは大学院入学以降で最も抑うつ的な状態になっていました。
そこで研究のことはほとんどせずに家でだらけたり、友達に相談したり、考えられるときにはどうするべきかを考えたりして過ごしていました。
そうした思考を経ていきついたのが、「ゴールからの逆算思考の不足」が研究を進められない原因の大きな要素なんじゃないかということです。
ゴールからの逆算思考の不足
知的活動によって新しい価値を生み出すとき、”計画”が重要なんだと思います。時間やお金などの資源は限られているから、何でもかんでもをこなすことはできない。だから、絶対に達成するべき中間目標を考えて、その達成を目指していくのだと思います。
(社会人の人とかだと、この思考が当たり前なのかもしれないですね)
でも自分はそれとは真逆のことをしてきました。なんとなくの目標を立てて、今できそうなことから中間目標らしきものを定めて、そこにふらふらと歩く。しかも、途中で「XXも考慮した方がいいんじゃないか」などと言われると、そっちに向かってふらふらと方向を変えてしまう。それでは、いつまでたっても着実な進捗が生まれてこない。
ここ数日でやっとこのことに思い至りました。目的からの逆算が大事ということは、以前に本で読んだこともあるし、指導教員にも言われていたのに、すっぽりと抜け落ちていました。愚かすぎる…。
そのように自分の思考様式に課題を抱えているというのは、自分自身による大いなる裏切りとも見えますが、まだコントロールできる範囲内にあるともとらえられる。逆算思考は(将来どんな道を歩むにしても)必須だと思うので、これからの研究を通じて鍛えたいです。
今、目指している逆算思考とは
大きく分けて2つの要素があると考えています「計画性」と「客観視」。
計画性
今自分がしたいことは、Xという現象の理由を知りたいという好奇心の充足、その過程で明らかになったことを査読付き論文として発表する、という2つ。
Xの理由の解明はどの深度での理解なのかによって難易度は大きく変わると思いますが、いったんは博士論文レベルとする。そしてその解明を目指す過程で、定量的で・再現性のあるデータをとり、それをもとに妥当な解釈を行えれば論文執筆にも至るのだと思います。
そのためには、疑問の一部を切り出してそれを明らかにする実験を考える。その際には「どうやって、どんなデータをとれば、何が言えるのか」を考える。そうすれば、残された時間の中で実現できる研究計画ができるし、(指導教員以外の)他者から言われた指摘などに惑わされることがなくなるんじゃないかと思います。
それができていないから苦労してるけど、そこに課題があると強く認識できた今ならなんとかなるのでは…。
客観視
計画を進める中で時々振り返り、順調に進んでいるのか、変な方向にずれていないのかを確認することが必要なのだと思います。そのためには自分の進捗を客観視する。あるいは、指導教員からのフィードバックを受ける。
そうして逆算思考で物事を進めるうえで、足枷になりそうなのが、「とりあえずやってみる」こと。
「とにかくやってみる」という呪い
何かをしたい人、10000人。
それを始める人、100人。
それを続ける人、1人。
学部生の頃に聞いたこの言葉によって、とにかく始めたら偉い!と思いこんでいます。
元来何かを始めることにあまり抵抗はないたちなので、始めることはできる。
でも、それが「本当にやるべきことなのか」は定かじゃない。しかも、始めた内容のブラッシュアップをしながら継続ができていない。
今まで一体いくつ実験を始めてみて、定性的な結果が出た時点でやめてきたことか…。
ここからは「とにかくやってみる」段階じゃない。
①やるべきことをしっかりと見定める
②それを実行する
③着実な(定量性・再現性)データを取れるようにブラッシュアップして継続する
この呪いを逃れなければ。
最後に
まだ僕はあきらめていない。研究すること、論文投稿すること、博士号を取ること。
今はまだ限界大学院生でもきちんと成果を出せる、ということをこのブログを通じて書いていきたいです。
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